北山敦康先生

静岡大学教授

静岡大学教授の北山敦康先生は,音楽科教育学,吹奏楽指導,サクソフォン演奏,ソルミゼーション(移動ド唱法)を専門に研究されています。北山先生にとって移動ド唱法とはどのようなものなのか伺いました。





袴田文子先生

浜松市小学校教諭

袴田文子先生は浜松市の現職小学校教員であり、子どもの発達に応じて移動ド唱法を扱う授業を実践していらっしゃいます。





北山敦康先生(静岡大学教授)

1.jpg静岡大学教授の北山敦康先生は,音楽科教育学,吹奏楽指導,サクソフォン演奏,ソルミゼーション(移動ド唱法)を専門に研究されています。特に移動ド唱法については,様々な講義でお話や実践的なご指導をしていただいています。そこで,北山先生にとって移動ド唱法とはどのようなものなのか伺いました。

―先生と移動ドの出会いを聞かせてください。

 幼稚園や小学校の頃に習った様々な歌を,大体移動ドで歌っていました。その頃の記憶によく残っている曲が2つあります。一つは,「ソミソミラミミソ」という曲で,歌詞が「ポチポチはやく来い」という歌です。これはおそらく九州地方か西日本の保育唱歌のようなものだと思われます。もう一つは≪お馬の親子≫です。このようなペンタトニックの歌の歌詞だけでなく,音階も頭の中に入っていたのです。特に,≪お馬の親子≫は木琴でも叩いていた記憶があります。だから,幼稚園か小学校の初め頃には,気が付いたらもう移動ドで歌っていました。

―移動ドの意義を意識し始めたのはいつごろですか。

 高校2年生で音楽大学に進学すると決めた時に初めて楽典の本を読みましたが,そこに書いてあったことはすでに分かっていました。それを全部理解できたのは,移動ドで歌っていて音楽の仕組みをわかっていたからだと思います。特別に楽典を習ったことはありませんが,調性判断などの音楽理論について困ることはなかったので,音楽大学の受験に苦労することはありませんでした。
 ハンガリーの作曲家で音楽教育家のコダーイ・ゾルターンは歌うことの重要性について主張していましたが,小さい頃の教育環境は歌を中心にしてあることが重要なのではないかと思います。何よりも常に歌が先に存在し,そこから音の鳴り響きが生まれるのです。楽譜はそれを記録するための手段にすぎません。これは言語と同じようなものだと思います。子どもの時に言葉を覚え,その後に自然と文字を覚えていきますよね。それと同じで,音がないところで楽譜を習ったわけではなく,常に先に音の鳴り響きがあるということが基本であると考えています。

―これから移動ドに取り組む人たちへのメッセージをお願いします。

 バイリンガルのように,移動ドも固定ドもできるようになると良いですね。ただ,移動ド唱法は慣れていない人や大人になってから始める人には練習が必要だと思います。これは外国語を勉強することと似ているかもしれません。言語と同じで,小さい時からそれを使っていたら全く問題はありませんが,小さい時に移動ドで歌うという習慣がなかった人たちは,それを学ぶ機会が必要なのではないかと思います。
 またもうひとつ,未知のものに対する受容力をつけていってほしいです。そうしなければもっと重要なことを見落としてしまいます。移動ド云々の話ではなく,人間の受容力を狭めるような教育をしてはなりません。この受け入れる力というのは音楽だけでなく,生きる上ではすべてのことに共通して重要なことだと思っています。受容力をつけるための方法としては,移動ド唱法の他にも日本の伝統音楽を学んだり,ピアノ以外の様々な楽器の奏法を学んだりすることが考えられます。
 人生の多様さや長さを考えると,やはり人間というのは受け入れる力をどのようにつけるかということが,教育において重要な課題なのではないでしょうか。その過程で,子どもたちが生まれながらにしてもっている能力をどのように引き出すか,どのように高めるか,その学びのプロセスこそが重要だと思います。そのプロセスに子どもたちは何を学ぶのか,教師はその先の子どもの将来にどういうものを見ているのかということを意識する必要があると思います。

袴田文子先生(浜松市小学校教諭)

2.jpg 袴田文子先生は浜松市の現職小学校教員であり、平成20年度より2年間現職派遣として、静岡大学大学院教育研究科音楽教育専修において小学校音楽科における「基礎・基本」についての研究をされました。小学校に戻られた後もソルミゼーション、リズム、ハンドサイン、リズム運動を低学年から継続的に日々の指導で行うことを考案し、現在もなお、子どもの発達に応じて移動ド唱法を扱う授業に取り組んでおられます。

袴田先生の実践の成果とその評価

 平成27年度の全日本音楽教育研究会全国大会の大学部会において、大学の研究者に対して袴田先生はソルミゼーションとハンドサインの実践に関するご発表をされました。袴田先生らのご発表について、明治学院大学の水戸氏は「これらの実践における成功の大きな要因の一つは、ソルミゼーションを楽譜の読み書きとはある程度切り離して、歌唱の活動における階名唱法に徹底している点である。」(水戸2016、pp.260-261)と評価しています。これにより、相対的な音高をイメージしやすくなり、相対音感を育成する音楽教育を実践されています。

【参考文献】

  • 井上幸子、袴田文子(2016)「理論を実践に生かして行くための視点:浜松県居小学校の取り組み」全日本音楽教育研究会全国大会静岡大会実行委員会『平成27年度全日本音楽教育研究会全国大会静岡大会研究集録』p.78
  • 水戸博道(2016)「音楽的音高に対する言語的符号化の実態」日本音楽表現学会『音楽表現学のフィールド 2』東京堂出版、pp.254-266

袴田先生の授業を拝見しました!

 実際に袴田先生が勤務されている小学校に伺い、4年生の歌唱の授業を拝見させていただきました。授業では《パレードホッホー》で旋律を重ねて歌う活動をしていました。授業のなかで旋律の重なりがうまくいかないとき、児童からは「ケンカしている」等の意見が挙げられていました。移動ド唱法を使うことによって正確に音程を取ることができ、旋律の重なりを意識して歌うことができていました。移動ド唱法を使うとき、児童たちは移動ド唱法に対して抵抗感がある様子はなく、ごく自然に移動ド唱法で歌うことができていました。また子どもたちが歌いやすい音から歌い始めることができていました。
 写真にもあるように、袴田先生が「バンバン」(鈴木楽器の薄型で軽量な持ち運べるカホン)を用いてリズムを取ることで、拍の流れに合わせやすい様子でした。楽しく歌いながらも、客観的に自分たちの演奏について捉えて、互いに高め合っていこうとしている主体性な子ども達の姿が印象的でした。

Q&A −授業について伺いました−

・移動ド唱法の導入はどのようにされていますか?

「歌唱の導入では、歌詞で歌わせる前に、階名唱で子どもたちに歌わせています。その際、子どもたちに楽譜を見せても、すぐに移動ド唱法では歌えないので、最初に教員が、ハンドサインを用いながら範唱するようにしています。前任校では、ハンドサイン表を作って掲示するなど学習環境にも配慮しました。」

・1年生でも実践できますか?

「1年生の教科書から選択した教材で実践することができます。1年生の教科書はハ長調が多いため、最初はそこから歌わせるようにしています。ヘ長調、ト長調の曲もありますが、ほとんどの児童は楽譜が読めないので、取り扱う際は、まず教員が移動ド唱法で範唱します。童謡や唱歌も積極的に学習に取り入れました。このように教科書以外の曲を扱う際には、やはり導入にハンドサインを見せながら範唱します。 
移動ド唱法の扱いは、まず開始音を楽器の音ではなくハンドサインのみで提示し、子どもたちが脳内でイメージした音を引き出すようにしています。」

・固定ド唱法との使い分けはどうしていますか?

「器楽分野は固定ド唱法を使い、歌唱分野は移動ド唱法を使っています。無伴奏で歌うことが多く、その場合、始まる音は児童が決めています。無伴奏で歌うことは、自分たちの「音」や「声」についての意識が鋭くなり、音の重なり、和声進行等を意識することで、知らずのうちに〔共通事項〕を意識していくことに繋がりました。また、子どもたち自身も歌詞で歌うより移動ド唱法の方が音やハーモニーの美しさも分かりやすいと思います。器楽でも十分に音名唱(固定ド唱法で歌うこと)していた方が上手に演奏できるということを実感することで、ドレミで歌うことの効果に気づくことができました。」

・ピアノを習っている児童への指導はどうしていますか?

「移動ド唱法を扱った際、ピアノを習っている児童から『全部ハ長調に移調しているってことですね』という反応がありました。絶対音感を持っている子どもには、『多少気持ち悪いけどごめんね』と声をかけ、『移調する勉強もするでしょ?きっとあなたは賢いからできるよ。ピアノも上手だし。こういう勉強も大きくなって音楽を専門的に勉強するときにはするのよ。』と自信を持たせるようにして、主体的に活動できるように心掛けています。

―これから移動ドに取り組む人たちへのメッセージをお願いします。

 低学年のうちから子どもたちに階名唱をさせ、その後も、子どもの発達段階に応じてハンドサインなどを用いるなどしながら授業を考えていくことが大切です。階名唱を低学年のうちに身につけさせておくと、その後も抵抗なく歌うようになります。高学年の音楽を担当する先生には音楽を専門にしている先生が多いので、移動ド唱法を取り入れることは、あまり重荷ではないと思いますが、移動ド唱法の有効性がまだ浸透しておらず、取り入れられていないことも多いと思います。特に、♯♭が多い調を移動ド唱法でいきなり歌うことは、少し難しいと感じる先生もいるかもしれません。高学年になって無理に移動ド唱法を取り入れるよりも、低学年のうちにきちんと、教科書に掲載されているハ長調の曲を階名で歌わせてあげることが大切です。スモール・ステップで移動ド唱法に慣れ親しませることこそが子どもにとっては幸せだと思います。
 移動ド唱法の一番の効果は音が取れて、子どもたちが歌を歌いやすくなることです。合唱の際のハーモニーもとても綺麗です。それにはオルガンやCDに頼らず、無伴奏で歌うようにすることが有効だと思います。さらに、移動ド唱法で歌唱すると、学習した曲を子どもたちがリコーダーや鍵盤ハーモニカで自然と演奏するようになります。

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